5月11日(日)礼拝説教全文
「神を畏れる知恵」詩篇10:1~18
10篇は9篇に続く歌と言われています。10篇には表題はなく、9篇と同じ「アルファベットによる詩」とあります。アルファベットの並びが9篇ではアレフから始まりカフで終わり、10篇はカフの次のアルファベット、ラメドで始まりタウで終わっています。私たちはこれをダビデの詩として読みます。 但し、9篇と10篇を読み比べてみますと、9篇が「感謝」と「賛美」と「神の知恵による教訓」であるとするならば、10篇の内容がかなり異っていることがわかります。同じ詩の続きなのだろうかと思うほどです。
10篇に歌われている描写の大半は「悪しき者」「貪欲な者」「神を侮る者」の所業です。そして、まるで主が彼らをそのままにしておられるかの様な世界、悪しき者が権力を振るい、栄えている。詩人はそのような世界を見て、又、自らが経験して、「主よ、立ち上がってください。神よ、御手を上げてください」と嘆願します。 しかし、9篇と同じく10篇の最後は、必ず主は悪しき者を裁き、苦しむ者の願いに答えて下さるという信仰、「神への信頼」を促す言葉で終わっています。
悪しき者、貪欲な者、神を侮る者 悪しき者の所業
「高ぶり」「苦しむ人を追い回している」
「自らの野望を誇り」「主をたたえながらも侮っている」
「鼻高々で神を尋ね求めず」 「あらゆる謀をたくらむ」
「彼の口は 呪い、欺き、暴虐 に満ち」 「その舌からは 害毒と悪事」
「村外れで待ち伏せし」「物陰で無実の人を殺す」
「不幸な人に目をつけ、茂みに潜む獅子のように物陰で待ち伏せる」 「苦しむ人を捕らえるために待ち伏せる」
「苦しむ人を網にかけて捕らえ、引いて行く」 「打ち砕いては、身をかがめる」
「その暴虐で不幸な人は倒れる」 そして「神を侮る」
悪しき者のことば (神を侮る言葉)
「神などいない」
「私は代々に揺らぐことなく、災いに遭うはずがない」
「神は忘れているのだ。顔を隠し、永遠に見るまい」
「神はとがめなどしない」
悪しき者の姿
「その道は常に栄え」 繫栄し
「裁きは彼らからは高く離れてある」 裁きを受けず
「敵対する者をすべて吹き倒す」 力を誇示する
「悪しき者」の対照的な人々:苦しむ人、無実の人、不幸な人、みなしごと虐げられた人
「暴力・権力・自らの力を振るう者」に対して:苦しめられる人、虐げられる人、(不幸)な人
いつの時代も、人は搾取する者と搾取される人に分かれます。富める者と貧しい者に分かれます。身分の高い者と低い者に分かれます。皆が平等で平和な世界はありません。私たちは、私たちの住む世界がそのようなものであることを知っています。ある良い人々は、できるだけ平等な世界を目指そうと考え、行動します。 多くの宗教家・哲学者・思想家と呼ばれる人々がそのような行動してきました。本来は政治家や、主導者もそうです。
神を信じる私たちは、このような世界を見るとき、ダビデと同じく「主よ、なぜあなたは遠く立ち、苦難の時に身を隠されるのですか」と問いたくなります。「主よ、立ち上がってください。神よ、御手を上げてください。苦しむ人を忘れないでください」と嘆願したくなります。
私たちの世界、人の営みは、文明が進み、科学技術が進み、暮らしが変わりました。 しかし、ダビデの時代と、人は何ら変わっていません。 強い者が弱い者を搾取する世界です。 権力、暴力や武力によって、何の力のない者たちが命を落とし、平穏な暮らし、平和が壊されています。 どうしてですか?「己が人にすぎないことを」悟らないからです。「神などいない。裁きなどない」と侮る者だからです。
神なき世界に、人間の力で平和や平等を築くことはできません。
それは国々においても、集団においても、個々においても、夫婦・親子・兄弟、自然や世界の動植物とのいかなる関りにおいてもそうです。 なぜなら、神を畏れることがないからです。主の裁きはないと考えるからです。 人はおのおのが自分の行いによって神の裁きを受ける時が来ます(黙示録20:13)
ある人は、「戦争が絶えないのは、宗教によってではないか」と言います。「キリスト教の国々が戦争を助長し、自らの富を増やしている」と言います。そのような一面が事実としてあります。 10節にこのような言葉が盛られています「悪しき者は自らの野望を誇り、貪欲な者は、主をたたえながらも(主を)侮っている」。 主をたたえながらも主を侮るとはどういうことでしょうか。 キリスト教界は歴史の中で、このような歩みをしてきましたし、今もしています。 「主をたたえながらも主を侮る」これは自戒の言葉として心に留めましょう。 主をたたえながらも、主を侮る言動、行動、生活。そうであるかないかは、主だけが知っておられます。誰も神の前に身を隠すことはできません。
「平和をつくる人は幸いです。彼らは神の子と呼ばれるであろう」 私たちキリストの言葉に従う者は、「世界の平和を主に願う」祈りの手を上げ続けていきます。
最後に、主は憐れみ深いお方です。苦しむ者、不幸な者、貧しい者、虐げられている者の声に応えて下さいます。また、主を尋ね求める者に、必ず救いを与えて下さいます。 「あなたは苦しみと悩みをご覧になり、御手によって救おうと顧みてくださる。不幸な人はあなたに身を委ね、あなたはみなしごの助けとなられた。」 「主よ、あなたは苦しむ人の願いを聞いて下さいました。彼らの心を確かなものとし、耳を傾けて下さいます。」
主の憐れみのまなざしは、このような人に向けられています。
教会はキリストのからだです。
参考資料
詩篇9篇 10篇 アルファベットの詩
9:2 アレフ 1.アレフ א
9:4 ベート 2.ベート ב
9:6 ギメル 3.ギメル ג
4.ダレット ד
9:8 ヘー 5. へー ה
9:10 ワウ 6. ワウ ו
9:12 ザイン 7.ザイン ז
9:14 ヘト 8. ヘト ח
9:16 テト 9.テト ט
9:18 ヨド 10. ヨド י
9:19 カフ 11.カフ כ
10:1 ラメド 12.ラメド ל
13.メム מ
14.ヌン נ
15.サメフ ס
10:9 アイン 16.アイン ע
10:7 フェー 17.フェー פ
18.ツァディ צ
10:12 コフ 19.コフ ק
10:14 レシ 20.レーシュ ר
10:15 シン 21.シン ש
10:17 タウ 22.タウ ת
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