12月15日(日)礼拝説教全文

「主を待ち望む者(待望の信仰)」  イザヤ8:23~9:6 

信仰とは、神を信頼し、神の約束(言葉)を信じて待つことです。 

イザヤ40:27~31(交読文)   

アドベント第三週で、3本の火が灯っています。 アドベントという言葉の語源は、ラテン語のAdventusアドベンタスに由来し、「到来、到着、接近」の意味があります。キリスト教会では、この言葉を元にして、待降節・降臨節とし、イエス・キリストの到来(クリスマス)の日を待ち望む季節・時期を意味します。 欧米ではアドベントカレンダーというものを使って、カウントダウンを楽しんで、クリスマスを迎える習慣などもあります。 聖書は、キリスト教では旧約聖書と新約聖書があり、説明の仕方もいろいろですが、旧約を「預言」の書、新約を「成就」の書と読むことができます。聖書は、神と神を信じる者(イスラエル)との契約(約束)の書です(「約」は契約の約)。聖書は神のことばによる「約束」と、その「実現」の歴史書・預言書です。 未だ実現されていない約束(預言)も聖書には多くあります。 

このイザヤ書の書かれたのは、イエス・キリストが生まれる約700年も前の時代ですが、神が契約を結ばれた民・イスラエルが暗黒の時代に向かって行く只中で記されたものです。イスラエルの国が北イスラエルと南王国ユダに分断し、北イスラエルがアッシリアによって滅ぼされ(紀元前722)、南王国ユダが傍観するという経緯の中、イザヤが神の言葉を託されて預言しました。歴史ではその135年後(紀元前586)南王国ユダも、アッシリアもろともバビロン帝国によって滅ぼされます。 

イザヤは、紀元前770年から677年、南ユダ王国の王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世の時代、北イスラエル滅亡から、南王国ユダ滅亡にかけての時代、ユダとエルサレムについて語った預言者です(1:1) 。

南北に分断している同民族というと、韓国と北朝鮮を例に挙げることができます。分断してからの2つの国は全く違った道を歩んでいることがわかります。北イスラエルと南王国ユダも同じでした。 

 南王国ユダが考える北イスラエル滅亡の原因の主張はこうです。「北イスラエル(ガリラヤ、サマリア)は、律法を守らず、神に従わなかった故にはずかしめを受け、滅ぼされた。私たちの国は神の祝福の下にあり、万軍の主が共におられる故、滅ぼされることなく、堅く建つ」。事実135年間、南王国ユダは、ヒゼキヤ王やヨシア王によって神に立ち返る時を持ち、アッシリアの猛威にさらされながらも守られ、支えられて来ました。しかし、神によって立てられた預言者達の数々の預言の通りに、国の滅亡は近づきつつありました。 

北イスラエルについての預言「ゼブルンの地、ナフタリの地、ヨルダン川の向こうの地、異邦人のガリラヤの地(サマリア・ガリラヤ・シリア地方)」はアッシリアによって苦しみを受け、「辱めを受けた」(:23)。 北イスラエルは暗闇の中を歩む暗黒の地であり、人々は死の陰の地に住んでいる。 しかし、彼らは「大いなる光を見る」「彼らの上に光が輝く」。そして、その日は必ず来る! その預言は、絶望の闇の中にいる者たちへの回復の預言であり、メシア(救い主)預言です。 

 どのような回復か  

希望と喜び、平和をもたらす回復 

暗黒の中で、大いなる光を見る(9:1~2) 国民が増やされ(国力を回復し)、大いなる収穫(戦利品)を得て分けて楽しみ(貧しさから豊かにされて)喜び踊るように、その喜びが大きくされる。(:2) 重荷のくびきは解かれ、肩の鞭、しえたげの杖、戦場で履いた靴、血まみれの着物は火の中に投げ入れられ焼かれる。ミデアンの日(士師記7:15、 12万対3000のギデオンの勝利)のように大勝利と平和が与えられる。(:3~4) 

その回復は何によるものなのか メシアによって 

暗黒の中で、人々が見上げる「大いなる光」とは何か(:5~6) それは、「一人のみどりごが生まれる、一人の男の子が与えられる」 このみどりごこそが、イスラエルに与えられるしるしです。(メシア預言) メシアが来られ、彼が祭りごと(政)を行い、堅固な王国を立ち上げる。 彼こそが主権者、王。  

 そのみどり子、一人の男の子とはどのようなお方か 

驚くべき指導者     ワンダフル カウンセラー 助言者 民の心を真に理解する王 

力ある神(大能の神)  マイティ ゴッド     みどり子が預言者ではなく大能の神ご自身 

永遠の父(とこしえの父)エターナル ファーザー  永遠のあわれみに満ちたイスラエルの保護者 

平和の君        プリンス オブ ピース   シャローム(平和)神と人、人と人との間に平和をもたらすみどり子 

 結 人々が救主を待ち望んだのがどのような時代であるのか   

  救主を待ち望む事によって彼らの何が支えられてきたのか 

アドベントの精神とは、どんな苦境・先行きの見えないような暗黒の中にあっても、主(の約束)を信仰によって待ち望むことです。(世の物/者ではありません。)知ってください、希望を失わず、あきらめす、絶望してしまわない心です。 イスラエルの歴史が、いかに「苦しみ」「やみ」「はずかしめ」「死の陰の地」であったかを知ります。 救い主を待ち望む  主の助け、主の救いを待ち望む人々。彼らにとって、その預言者の語る預言がどんなに慰めとなり、力となったのかを知ります。そして、私達の人生に、救いが成し遂げられるのは、私たちの熱心ではなく、万軍の主の熱心がこれを成し遂げられます。 

 暗黒の中にあって人々を支えたものは何でしょうか。主を待ち望む信仰、主の約束を信じ待ち望む信仰です。 出口のないトンネルを進んでいるように思うこともあるかも知れない。しかし、私達は内に光を持っています。イエスという光を持っています。 今、私たちはどうでしょうか。世界が、私たちの周りが、暗いですか。救い主の降誕が、そして、キリストの再臨(イエスの約束を信じて待ち望む)が、私達の信仰の支えです。暗闇の中に輝く光 ガリラヤの光栄 救い主イエスを待ち望み、仰ぐ者でありたい。 

日本ホーリネス教団 勝田台キリスト教会

2024年11月末までの勝田台キリスト教会のHPはこちらのアドレスでご覧になれます。 https://katsutadai-ch.amebaownd.com/ 千葉県八千代市勝田台7‐27‐11に所在するプロテスタントのキリスト教会です。

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