12月29日(日)礼拝説教全文

霊と知恵に満ちた評判の良い人」 使徒行伝6:1~7 (第一テモテ3:1~7) 

「評判の良い人」 第一テモテ3:7 監督の資格 

月日の流れは速いもので、今日の礼拝は2024年、最後の礼拝となりました。 この一年、神様の守り、癒し、祝福の中を、神と共に歩んで来れた事を感謝します。 12月には勝田台教会では、4回のクリスマス集会が行われました。千葉教区のユースクリスマス会、子供クリスマス会、のぞみカフェのクリスマス会、そして、先週はクリスマス礼拝と賛美のつどいが行われました。 どの集会にも新しい方々も来られ、祝福されましたことを感謝します。 

時々、「私はクリスチャンではありませんが、教会に行ってもいいですか」と聞かれます。もちろん、大歓迎です。新しいい方々が教会に来られることは、私たちの喜びです。神様の恵みを経験したことのない人への「宣教」は、イエス・キリストに救われた者の大きな喜びであり、使命です。 私たちがこの救いの恵みに預かったのは、もちろん、イエスの十字架と復活による救いの御業にありますが、その宣教のことば(メッセージ)を聞いて、得たのです。この受けた計り知れない大きな恵みは、私達に留めておくべきものではなく、私が受けたように、多くの人々にシェアするべき類のものです。「べき」と言うか、伝えずにはおれない性質のものです。 

私はやはり関西人なのか、良いものがあれば伝えずにはおれません。品物でも本でも、お店でも病院でもそうです。 

本日の聖書の箇所では、最初の教会「初代エルサレム教会」で起きた問題について書かれています。教会の中でどんな問題が起こったのでしょう。この時の教会は、既に教会員の数は何と数千人を越えていて、しかも大人数で共同生活を行っていました。(2:41~47) 「日々の分配のことで」とあります。日々の分配とは、食事に関してということです。「食べ物の恨みは怖い」という言葉を耳にしますが、以外とこのような日常の身近なことが苦情の原因となります。家庭で起こる問題も案外「冷蔵庫にあった私の食べ物がなくなった」という些細なことではないでしょうか。 

教会の中には、ヘブライ語を話すユダヤ人と、ギリシア語を話すユダヤ人がいたようです。パレスチナ地方において現在はアラビア語が多いですが、新約聖書が書かれた時代は、多くの人がアラム語を使っていました。ヘブライ語はアラム語から出たもので、主に文章、聖書や宗教書などに使われていました。 イエスもイエスの弟子たちもアラム語を使っていましたので、初代の教会の主流は、アラム語を使うユダヤ人であったと思われます。 

十二弟子、使徒と呼ばれる人たち(元々はイエスがお選びになった十二人)は、他の弟子たち(奉仕者)を集めて協議します。「私たちが、神の言葉をおろそかにして、食事の世話をするのは好ましくない。私たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」しっかりと分担する必要があります。そこで、7人の人を選び、監督、執事、長老、現在の教会組織の中でいう役員として、按手をもって任命します。(:6) 

さて、本日の説教題としましたが、どのような人が選出されたでしょうか。 「霊と知恵に満ちた評判の良い人」です。 

 1、「霊に満ちた人」とは 

肉の欲求、自己、己を通す人でなく、常に神のおこころを問い、それに生きる、聖霊に満たされた神の器です。神を、イエスを何よりも第一とする気持ちが生活に満ちている人です。 

 2、「知恵に満ちた人」とは 

人々が満足できるような采配ができる人です。「苦情」が処理できる人です。誰かが納得していて、誰かが納得していない状況を打破できる人。確かに全員が納得できる、満足できる采配をすることは非常に困難です。それぞれの立場によって違いがあるからです。教会の中で、全員が納得できる回答はないかも知れませんが、苦情を告げる者の意見を聞き、解決するための知恵が必要となります。 

この年末にさしかかって、ニュースやニュース番組で私たちが良く耳にしていますのが、「年収103万円の壁」という言葉です。106万、130万、150万と様々な保障や税制において壁があるようで、どこに基準を再設定していくかが討議されています。人はまことに自己中心な生き物で、自分が得をするのか損をするのかしか考えません。本当に困っている人の、他者の事を考えられないのが私たちの現実です。 第一テモテ3章3節には「監督の資格」のひとつに「金に執着せず」とあります。 おのおの自分のことばかりを考えずに、他者のことを考えなさい、という聖書の言葉の通りです。 * ソロモンは正しく公平な神に喜ばれる采配・裁き・政(まつりごと)を行うための知恵を神に求めました。 

3、「評判の良い人」とは 

私達は人の評判を気にして、自らを違ったように「評判の良い人」を見せる必要はありません。見せかけのものは、すぐに見抜かれます。 しかし、「評判の良い人」は、キリストの「宣教」の使命を担う証人として、大事な言葉です。 「評判の悪い人」がキリストの素晴らしさを証しすることができるでしょうか。 「評判の悪い教会」に人は来るでしょうか。 何度も言いますが、人の評判を気にする必要はありません。 評判の良い人になる内面の成長をしてください。 私も自分を棚に上げて、勧めるのではありません。 「柔和と謙遜」を身に着けて下さい。塩で味付けられた「優しい言葉」を使うことに心を向けて下さい。 イエスの霊に満たされて、気持ち(心・精神)の良い人になってください。 特に教会の兄弟姉妹に対して、又、家族に対して、同僚や部下に対して、下級生に対して。自分の国以外の人に対しても。 

 第一テモテ 3:1~7 「霊と知恵とに満ちた評判の良い人を探しなさい。彼らにその仕事を任せよう。」 

社会の中で、地域の中で、良い関係を結んでください。評判の良い人であってください。そこから伝道はスタートします。 なかなか誰かを教会に誘うことは難しいことでもあります。しかし、皆さんは、それぞれの生活の場で、良い人間関係を築いておられると思います。そんなあなたを通して、人は教会にやって来ます。     

日本ホーリネス教団 勝田台キリスト教会

2024年11月末までの勝田台キリスト教会のHPはこちらのアドレスでご覧になれます。 https://katsutadai-ch.amebaownd.com/ 千葉県八千代市勝田台7‐27‐11に所在するプロテスタントのキリスト教会です。

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