2025年1月1日(水・祝) 元旦礼拝説教要約
「幻のない民は滅びる」 -No vision the people perish-
「幻がなければ民はちりぢりになる」箴言29:18(聖書教会共同訳)
「幻」という日本語は非常に空ろな響きですが、「ビジョン」と言えば、希望と期待に溢れたものとなります。
と或るレコード会社の宣伝文句に「NO MUSIC,NO LIFE」というものがありますが、音楽のないのは人生がないのと同じだという意味合いです。キリスト者の生とは「NO VISION,NO LIFE」と言えます。ビジョンがないのは、キリスト者としての人生がないのと同じだということです。この新しい一年、2025年という未来に向かって、「ビジョン」をもって、私も、私達教会も挑みたいと思います。
「ビジョン」を国語辞典で調べると、一番目に将来の構想。展望。また、将来を見通す力。洞察力という意味があります。しかし、聖書の語る「幻」「ビジョン」とは、祈り(神との交わりにおける黙想)と信仰をもって受け取る(先に見せていただく、描かせていただく)神のご計画です。そして、それが具体的に成し遂げられていく過程に、私が、教会が参与せていただくことです。
私がこの教会に任命されて、描いていたひとつのビジョンは、若者たちがバンドで礼拝の賛美リードをしている姿です。それを現実に見せていただきました時に、大きな喜びに胸がいっぱいになりました。益々、盛んになって欲しいと願います。もうひとつは、教会が、イスラエルをはじめ、世界の困難な国々や困窮する人々に関心をもって祈りと支援をしていく教会になることです。戦争の終結、自然災害地域の復興、飢餓・貧困・難民の溢れている国々の為に祈りの手を上げ続けて来ました。今、描いていますもうひとつのビジョンは、グローバルな教会になることです。憐れみの心を閉ざしてはならない「寄留の他国人」という聖書の言葉はいつも私の心にあります。福音は言語の壁を越えて行きます。
あなたが祈りと信仰によって、神に見せていただいているビジョンはどのようなものですか。分かち合ってください。幻のない民は滅びます。
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