1月5日(日)礼拝説教全文

「私の国はこの世のものではない」ヨハネ18:28~38b 

イエスの説教の中心は「神の国」イエスの王国も「神の国」 

神の支配 Kingdom of God 神のご支配の中に生きる民 それがキリスト者です。 

2023年からヨハネによる福音書を礼拝で読み始めて、2年になります。 イエスの生涯の最後となります。十字架・復活の出来事へ向かっています。 

本日はイエスの裁判の記事です。 「ポンテオピラトのもとに苦しみを受け」礼拝の使徒信条で私達が毎週告白している一節です。 ローマのユダヤ管轄の総督であったピラトは、キリスト教の歴史の中で、悪の代表者のように言われ続けてきた人物と思われるでしょう。確かにローマの法廷で、ユダヤの総督であったピラトが、判決を言い渡す者として、イエスを十字架へ追いやりますが、しかし、彼の判断は、18:38、19:4、19:6にありますように「私はあの男に何の罪も見いだせない」という無罪判決の言葉です。ピラトは3度そのように告げています。ピラトはイエスを何とかして釈放しようとしていた人物です。 

 官邸の外で(:28~32) 

イエスを訴える者(祭司長、パリサイ派、律法学者たち)とピラト 

明け方、イエスはカイアファの官邸からローマの総督官邸へと場所が移されます。 祭司長や律法学者たちがローマ人の屋敷(官邸)には入らなかった理由は、過越しの祭りが近づいており、異邦人の家に入ると汚れると思っていたからです。ユダヤ人の死刑の方法は石打ちですが(使徒7:58)、過越の祭りの最中でもあり、ローマの官邸においても石打ちにすることなく、イエスを処刑する為にローマ法廷へと引き渡します(マタイ20:19)。「私達には人を死刑にする権限がありません」と苦しい言い訳をして、イエスの処分をピラトに願い出ています。 ユダヤ人が死罪にあたる罪を犯せば、その方法は「石打ち」でした。なぜユダヤ人であるイエスは十字架で死ななければならなかったのでしょうか。 イエスはこのように言われていました。「モーセが荒れ野で蛇を上げたように(民数記21:9)、人の子も上げられなければならない」(ヨハネ3:14~15)。「彼らは人の子を死刑に定め・・・異邦人に引き渡たす」(マタイ20:18~19)。 ユダヤの裁判ではなく、ユダヤの権限の下にではなく、ローマ、異邦人の裁判で、ローマの権限の下で、十字架で処刑される予告をされています。 

 官邸の中で(:33~38) イエスとピラト 

ローマ皇帝カイザルは、ローマとその支配地域の王です。ヘロデも実権のない名ばかりの者であったとしてもユダヤの王です。ピラトは、イエスに尋ねます「お前はユダヤ人の王なのか」。 しかし、イエスはどの国の王なのでしょうか。たとえ、人々が受け入れなかったとしても、神の選びの民ユダヤ人の真の王であることに間違いはありません。イエスの十字架の上の罪状書きも「ユダヤ人の王」です。 イエスはどこの国の王でしょうか。「わたしの国は、この世のものではない(:36)」とイエスは言われます。 イエスは神の御国(天の国)の王です。 

イエスは、「私は真理について証しするために生まれ、この世に来た」と仰せになりました。イエスの証しされた「真理」とは何でしょうか。イエスの生涯のメッセージのテーマは、「神の国(王国)Kingdom of God(天国、天の御国)」についてです。 「真理」とは、変わらないもの、移ろい変わったりしないものです。神ご自身が真理であり、神の与える永遠のいのちが真理であり、天の御国の王が真理であり、そして、神の愛は真理です。 イエスが真理であるゆえに、神の国はゆるがない私達の土台であり、それにより頼む者には平安があります。 この世のものは移り変わり、衰え、色あせ、やがて朽ち果てます。しかし、神の御国は変わることがありません。 

「真理について証しするために来た」と言われるイエスの言葉に、ピラトは「(あなたの言う)真理とは何か」問います。 真理とは何でしょうか。 以前、ヨハネ8章32節で、「真理はあなたがたを自由にします」とイエスは語られました。 国会図書館の受付の上に「真理は私たちを自由にする」という言葉がギリシア語で掲げられていることをお話しました。 図書館に記されているこの場合の真理というのは、書物を通して得る知識、自然科学の真理であったり、社会学的真理であったり、哲学的真理であったりするものです。確かに、それらの真理によって迷信から自由になったり、社会の差別や偏見から自由になったり、貧困から自由になったりして来た歴史があります。「真理が人間を自由にする」ということにはそのような意味合いがあります。真理は、息苦しい偏見や理不尽さから私達を解放するでしょう。 

 しかし、イエスの言う「真理」(アレイセイア)は異なります。 人は本来、真理の意味する「絶対」「正義」「不変」を持ちません。 かえって間違った方向へ向かいやすく、正義の名のもとに他者を排斥し、断罪します。 聖書は、人は真理を知らず、全ての人が偽りの道、滅びの道、サタンと罪と死の束縛の中に捕らえられていることを警告しています。 人は正しい道を知らず、イエスが王である御国の道、天国へ続く道を知らず、聞いても歩まない者なのです。 

「真理はあなたがたを自由にします」 その自由とは、 罪の奴隷からの解放。 死の束縛からの解放。 自己中心な的外れの生き方からの解放です。 全てのキリスト者は「自由」を得ています。ハレルヤ!

 イエスは「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」と言われました。その「真理」を私たちが得るために、イエスは十字架で、私たちの罪を負って死に、三日目によみがえられたのです。イエスを信じる者は、罪の赦し、永遠の命を得ます。 そして人は、イエスが王であられる神の御国の神の子ども、民とされます。「しかし、イエスを受け入れた者、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた」(1:12)とある通りです。  

日本ホーリネス教団 勝田台キリスト教会

2024年11月末までの勝田台キリスト教会のHPはこちらのアドレスでご覧になれます。 https://katsutadai-ch.amebaownd.com/ 千葉県八千代市勝田台7‐27‐11に所在するプロテスタントのキリスト教会です。

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