1月19日(日)礼拝説教全文

「流れのほとりに植えられた木」 詩篇1:1~6  聖書の告げる幸いに生きる 

 「どうして私の人生にだけ、このように特別に苦しいことが起こるのであろうか。」「悩みが多いのだろうか。」「悲しみ、孤独が続くのだろうか。」そのような言葉を耳にします。しかし、それは特別なことではなく、昔も今も変わらず、誰の人生にも他の人にわかってもらえないと思えるような困難や試練があります。 

本日開いています、聖書の中の詩篇は、全部で150篇の詩が集められています。作者は、ダビデをはじめとして、ソロモン、アサフ、コラ、モーセの祈り、名のない祭司やレビ人たちです。どのような詩が多いかというと、「嘆きの歌」です。詩人が耐えられないような悩みの中で神様に呼び求めた歌です。私は聖書学院で小林和夫牧師から詩篇を学びましたが、詩篇は「嘆きの歌」「信頼の歌」「たたえの歌」に分類され、多くの構成は、詩人が嘆きの叫びの中で、神への信頼を告白し、たたえの歌へと変えられていくというものです。 詩篇の歌が、それを読む多くの人々の心を癒すのは、繊細に私達にある苦しみを言葉で表現し、「しかし苦しみの中にある者よ、神への信頼を呼び起こせ」と語るものだからだと思います。 

150篇ある最初の第1篇のことば アシュレイ!ヘブル語 אושר(感嘆詞)「幸いなことよ!何と幸いなことか!いかに幸いなことか」(新共同訳)で始まります。イエスの山上の説教と同じです(ギリシャ語 マカリオス μακαριος「幸いなことよ」) 

 1、幸せとは何でしょうか。  消極的な表現 でない人 

財産、知識、名誉。健康、愛する家族の中にいること。多くの友人に囲まれていること。平和であること、衣食住が満たされていること。趣味や自分の好きなことができる日々。人の幸福感はそれぞれに違うかと思います。

 しかし、詩篇1篇に記されている「なんと幸せなことか!」それは、 悪い思いを抱いて歩まないことだと言います 罪の道を歩まないことだと言います それが、幸せなのでしょうか。  

悪者のはかりごとに歩まず  悪いことを図る       思い 

罪人の道に立たず      悪いことを実行する     実行し 

あざける者の座に着かな(ない)かった、その人。悪いことを習慣化する。自分の悪を認めない。

 悔い改めのない。染まってしまう 歩んで、立って、そこに座ってしまう。 足が向いて、それを続けて、最後にはそこに居座ってしまう。(それが、罪人の姿であり、人間の姿であり、それが聖書を鏡として映し出される私たちの姿です) 

 2、幸いな人とはどんな人でしょうか  積極的な表現  である人 

人はどのようにして正しく生きることができるのでしょうか。 

「主のおしえを喜びとする人」です。聖書のみことばには力があります。それは神が私達の人生に、必ず実現してくださる祝福、生ける神の言葉だからです。「ことば」はヘブル語で、ダーバール דׇּבְר「出来事」とも訳されます。私たちの言葉は、空中に消えてなくなってしまいますが、このダーバールは、私たちの人生に出来事として起こってきます。ヨハネによる福音書1章に「ことばは人となって」とあります。ダーバールをロゴス(ギリシア語λόγος)と訳しています。聖書のことばを信じて受け入れる時、それは神のことば、約束、祝福を信じて受け入れる時であり、それは私たちの心、人生に変化を与えます。 

「心に植え付けられた御言葉を素直に受け入れなさい。御言葉には あなたがたの魂を救う力があります。」(ヤコブ1:21) 

私達は神のことば、そのみ教えによって正しさを学びます。

 昼も夜もそのおしえを口ずさむ * 反芻動物 牛・羊・山羊 4つの胃袋 聖書は神の愛のラブレターです。必ず実現する神の約束です。あなたを苦しみから解き放つ神の祝福のことばです。聖書のことばは、私たちを救う力です。 あなたのことばは、私の支え、慰め、力です。 

 3、幸いな人とはどのような人でしょうか。 比喩的な表現 のような人 

① 水路のそばの木と荒野の木 

幸いな人とはどんな人か。それは水路のそばに植えられた木のようです。単に水の流れのそばにあるのではなく、砂漠のような荒野のような場所から、水路のそばに移植された木のようです。 その移し替えられた場所は、水の流れの側なので、その木も葉も枯れません。それが、神を信じ、神と共に歩む人の姿です。生きる力も、喜びも、人を愛する愛も、全ての祝福を神が与えて下さいます。 

流れ(水路)とは、神の愛と祝福です。 イエスご自身です。イエスの愛と恵みです。聖霊、霊的なめぐみです。 決して渇くことのないいのちの水の流れです。 知ってください。そこに身を置くことが重要です。 

「時が来ると実がなり」無理に実を結ぼうとしなくても、自然と実を結びます。(健全であれば成長します) 

「その葉は枯れない」神のことばは、必ずあなたの人生にすばらしい実り、癒しを与えます(黙示録22:2) 

* ガラテヤ5:22~23 御霊の実 

「その人は何をしても栄えます」「何をしても」最高の祝福のことばです。 あなたの人生はどこに置かれていますか(植わっていますか)。お金ですか。健康ですか。家族ですか。仕事ですか。趣味ですか。 それは、時にどんなに求めても水を得ることのできない不毛な荒野の地でしょうか。一時は幸いを味わえても、すぐに枯れ果ててしまうため池でしょうか。 聖書の言葉を信じ、尽きることのない命の水に満ちたイエスのそばに植えられてください。

 ② もみともみがら 

この道を歩まない人はどのような人でしょうか 。風が吹き飛ばすもみがらのようだ。中身のないもみがらのようです。 中身とは、神の教え、心に植えつけられた神のみことばです。「この宝を土の器に持っている」(第二コリント4:7)。それは、キリストの栄光にかかわる福音の光、イエス・キリストの輝き、キリストご自身です。神からの祝福を頂いて、救われた新しい人です。 

もみともみがらは、一見同じようなものです。しかし、風が吹くともみがらは飛んで行ってしまいます。 風はもちろん人生の困難とも言えるが、最終的には人生の最後に来る死と神のさばきです。それに耐えられないのです。その中身を持たない人は、さばきの座に立ちおおせず、正しい者の集いに立てません。私はこの講壇から何度も言うでしょう。「必ず人は近い将来、神の前に立たされる時が来ます」悪しきものはさばきに耐えられません。 

罪人の道に立たない者の幸いを覚えましょう。まことに、主は正しい者の道を知っておられます。 神に従う先には幸いがあり、悪者の道は滅び失せます。        

日本ホーリネス教団 勝田台キリスト教会

2024年11月末までの勝田台キリスト教会のHPはこちらのアドレスでご覧になれます。 https://katsutadai-ch.amebaownd.com/ 千葉県八千代市勝田台7‐27‐11に所在するプロテスタントのキリスト教会です。

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