2月16日(日)礼拝説教全文
「まっすぐにしてください」 詩篇5:1~13
〈表題〉 指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。(:1)
詩篇5篇は、笛の音に合わせて歌われた詩です。(4篇は弦楽器で歌われました) 新聖歌168番 あなたは朝毎にどのような祈りを神にささげていますか?「私の前にあなたの道をまっすぐにしてください」 ― 正しく生きることができるように。正しい選択。 神の義(主の教え、その御旨の中をまっすぐに)
朝毎の祈り(礼拝) (:2~4)
詩人ダビデによる「祈り」における表現 ダビデの朝の祈りであり、神殿の祭儀の中で歌われた詩でもあります。 前回礼拝でお話しした通り、ダビデの詩であるのか、その後の時代のものであるのか等、色々な考察がありますが、私たちはダビデの詩としてこれを読みます。
「主よ、朝毎に祈る『私の言葉』『私のつぶやき』『私の叫び』に『耳を傾けて下さい』『聞き分けて下さい』『心を向けて下さい』。私は毎朝、あなたに向かって祈る為に、身を整え、あなたを待ち望みます。」 「私の祈りの言葉にある、心の嘆きを汲み取ってください」というものを、詳細に巧みに分割し、表現しています。それは時に、「つぶやき」であり「叫び」です。私の内にある思い、自分でも言い尽くせない思いを深く探って、知ってください。私の祈りに関心をもってください、という嘆願の祈りです。 主は一を聞いて十を知るお方です。(聞かなくても全てを知るお方ではありますが)
「わが王」「わが神」という主への呼びかけは、ダビデ自身が王ですが、ダビデの王は神である主ご自身です。自らが王であれば、王の王は誰なのか。ダビデにとって主は、義なる審判者であり、全能なる救済者であり、神の王国の支配者、王です。私たちにとってもそうです。
「聞いて下さい」ダビデの嘆願の祈りが開始されます。詩人ダビデによる悪しき者についての巧みな表現
あなたは正しい審判者(:5~8) 法廷における裁判の席
「あなたは不正を喜ぶ神でなく、あなたのもとに悪がとどまることはありません」 「驕る者は、あなたの前に立つことができません」 「あなたは悪事を働く全ての者を憎み、偽りを語る者を滅ぼします」 「血を流す者と欺く者とを(主は)忌み嫌います」
ダビデの生涯については、礼拝の中でお話ししていますが、ダビデは常に敵対者に囲まれ、多くの危機に陥ります。しかし、そこから主によって守られ、救い出されてきた王です。イスラエルの民の歩み、離散したユダヤ人の歩みも、常に敵国に囲まれ、虐げられた歴史を歩んでいることがわかります。彼らはダビデと同じ四面楚歌の中で、常に主(上)を呼び求める中を歩んで来たと言っても良いと思います。しかし、決して滅び尽くされてしまうことなく、神の恵みによって力づけられ、繁栄を受けています。又、私たちも神を信じない人々に囲まれて生活しています。
義なる神に逆らう者とは、「不正を喜び」「悪にとどまり」「驕り高ぶり」「悪事を働き」「偽りを語り」「血を流し」「欺く者」です。どれも主が忌み嫌われる者です。
私たちは現在、戦争の終結の為に日々祈りをささげています。知ってください「血を流す者」を主は忌み嫌われます。イエスを通して私たちが知る神は、暴力・復讐による解決ではなく、愛とその戒めによる解決・平和を願っておられるお方です。 * ユダヤ教とイスラム教、そしてキリスト教においてのイエスの教えに反する歴史の中で
「不正を喜ぶ者」不正と言う言葉は解釈の難しいものです。不正とは、正しい秤を持たない行為です。自分の適法な分け前を、自分のものとすることは不正ではないでしょう。小林多喜二の「蟹工船」という本を読んだことがあります。非常にショッキングな内容のものだったことを記憶しています。資本家と労働者の課題です。豊かな者が、貧しい労働者から搾取して、豊かな資本家は益々豊かになり、貧しい労働者は、低い賃金と過酷な労働を強いられます。しかし、それは契約上、法律上、何の問題にされません。賃金が低かろうが、労働が過酷だろうが、日々の生活の為に、彼らはそのような不当な条件でも契約を結びます。法的には問題はなく、悪いこととされません。しかし、神の前には、そのような資本家は「不正を喜ぶ者」です。豊かになることは罪ではない。しかし、他者を顧みず、私腹を肥やす者は、誰の物ではない神の物、神に預けられた物を奪って、自分の物としていると言えます。
「驕る者」 私たちが社会的にどのような存在であっても、神の前に驕ってはなりません。たとえ、ダビデのように王であっても驕ってはなりません。 王であるダビデは朝毎に祈ります「私は朝が来る度に、あなたに向かって身を整え、待ち望みます」(:4)。 「あなたを畏れ敬いつつ、聖なる宮にひれ伏します」(:8)。
主よ、あなたの義によって、私を導いて下さい(:9~11) 詩人ダビデによる偽りを語る者についての巧みな表現
ダビデの敵対者は、「彼らの口は確かなことを語らず」「彼らの腹は腐っています」 「舌は滑らかでも、喉は開いた墓」「破滅の謀を企てる者」 「あなたに背き、逆らう者」 です。
ダビデは何度も危機の中、決断に迫られます。ゴリアテに立ち向かう時、エルサレムを離れる時、自らの命を狙うサウル王を避ける時、契約の箱をエルサレムに運び入れる時、アブシャロムに王位を追われる時、神殿を建設しようとする時、等。 ダビデの周りには、様々な軍師や進言者、祭司や預言者がいます。そして民の声もあります。何を選択して進むのが良いのか。滑らかな舌に引き寄せられて、間違った道を選択してはなりません。破滅をもたらす助言に惑わされてはなりません。言葉巧みな者の罠、については心しておきましょう。
「主よ、義によって導いて下さい。私に敵対する者がいます。(彼らに惑わされないために)私の前にあなたの道をまっすぐにしてください。」(:9)
朝毎に祈るダビデの祈りは、「私が間違った選択を今日することがないように。ただお一人の『義なる主』によって、正しい道をしっかりと判断して歩むことができますように」というものであったことがわかります。 ダビデの息子、三代目のイスラエルの王となるソロモンは神様に「民を正しく裁くことのできる知恵」を求めました。彼は10番目の息子でしたが、ダビデの精神を受け継いでいることがわかります。 「主の道はまっすぐで、正しき者はそこを歩む。だが、背く者はそこにつまずく」。ホセア書最後の言葉です。ホセア書14:10
罪とはギリシア語で「ハマルティア」(「的外れ」という意味)です。真直ぐな道・本来人が歩むべき道から逸れているということです。 義とは、主のまっすぐな道を歩むことです。主のまっすぐな道を歩むためには、神のみ旨を知り、それに従うことが必要です。
* 注a 大盾のように彼らを御旨で囲う
主のまっすぐな道を歩みましょう。
祝福の祈り(:12~13)
「あなたの守りと祝福が、あなたを喜び、あなたの御名を愛する者の上にありますように。」
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