3月23日(日)礼拝説教全文

「人の子(イエス)とは何者なのか」 ヘブライ2:5~18 

聖書教会訳見出し 救いの創始者 

 先週詩篇8篇を礼拝で読みました。 詩篇8篇はダビデの詩です。神の偉大さ、力強さをほめたたえ、神の創造の業である天空を見上げ、自らの小ささを告白します。その中で「人とは何者なのか、あなたが心を留めるとは。人の子とは何者なのか、あなたが顧みられるとは。」と、神が私のような小さなものに心を留めてくださり、顧みていてくださることの不思議と恵みの大きさを歌っています。 ここでダビデは図らずも、「人とは、人の子とは」、と言葉を変えています。人とはもちろん、神が造られた人であり、人の子とは、ダビデも含めて、人から産まれた全ての人々を示す存在と考えることができますが、ヘブライ人の手紙の著者は「人の子」を、ダビデは神の御子イエスについて証ししていると解釈します。 

 ルカによる福音書ではイエスを「人の子」(=「人となられた神の子」)と23回呼んでいますが、旧約のメシア預言に約束された救い主が、イエスであることを言い表すためにこの言葉を使います。イエスを「人の子」と証言する時、イエスは私たちと同じ人間、アダムの子孫であると同時に、待ち望んでいたメシアであることを示しています。 ダニエル書7:13~14では、「人の子」を、神から権威と御国を授かり来るべきメシア、支配者と預言しています。ヘブライ人への手紙の著者が、メシアは「人の子」と呼ばれ、イエスが「人の子」と言われていたことをもちろん知っていたでしょう。 ここで、ヘブライ人への手紙の著者は、詩篇8篇の「人の子」に注目し、「人の子」とはイエスであると語ります。

 ヘブライ人への手紙の著者はさらに、詩篇8篇に続く言葉を 「あなたは人間を、神に僅かに劣る者とされ」を「あなたは彼を僅かの間、天使より劣る者とし」と言い、 「栄光と誉れの冠を授け」を被造物である人に授けたという内容を、「神の御子イエスに授けた」と解釈し、 「万物をその足元に従わせられました」を「御手の業を治めさせ、あらゆるものをその足元に置かれた」 と読んでいます。 

詩篇8は「人間を神に僅かに劣る者とされ」、ヘブライ人への手紙は「彼(イエス)を僅かの間(期間)天使に劣る者とし」としています。人の創造において、神に僅かに劣る者としたという言葉を、イエスを僅の期間、天使に劣る者としたと解釈するのです。 とても大胆な洞察です。

 詩篇8篇から、イエスは、ほめたたえられるべき神の御子(神)であられたのに、私たちの救いの為に、僅かの期間(人が数えて僅かに33年の間)、天使に劣る者となられたと告げます。人となられたからです。 『僅かの間、天使に劣るとされた』イエスは何をその生涯で為されたのか。死の苦しみを受けられた。その死の苦しみのゆえに、『(神から)栄光と誉れの冠を授けられた』と語っています。 イエスの栄光・誉れの冠とは、私たちの罪の為に十字架で死なれた故に授けられたものです。 それは、神の恵みです。「全ての人のために(イエスは)死を味わわれました。」

 詩篇8にある「栄光と誉れの冠」は、「神のかたちに造られた人」のためのものです。ヘブライ人への手紙の著者は、「それは神の御子イエスに授けられたものです」と語ります。その冠は、神の御子が人となられ、全ての人の救いの為に試練と死を味われた救いの業に対して、神によって授けられたものです。 

さらにその意味を説明しています。「というのは…」 多くの子たちを栄光へと導くために、 彼らの救いの導き手(f 別訳:創始者)を 数々の苦しみを通して 完全なものとされたのは、 万物の存在の目標であり源である方(創造者である神)に、ふさわしいことであったからです。 神については御子イエスを見て知ることができます。 万物の存在の目標、源である方とは、天地創造の主であり、人となられた神の御子イエス・キリストです。 イエスが人の苦しみと死を経験されて、私たちを救いに導くことが、神の栄光と誉れであり、神である主にとって、そのお方にふさわしいことだと言います。 

イエスは、私たちと同じ肉と血をお持ちになって、ご自分の「死」によって「死の力を持つ者」「悪魔」を無力にし、「死の恐怖の為に一生涯、奴隷となっていた人々を解放されました」。 イエスは、人となられて、「神の前で憐れみ深い、民の罪をなだめるために、忠実な大祭司となられました」。 事実、主イエスご自身が試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人を助けることがおできになります。 

 詩篇8篇は、「主よ、我らの主よ、御名は全地にいかに力強いことか」と、神の力強さをたたえる言葉で始まり、そしてまたたたえて終わっています。小さな者に心を留め、顧みていてくださる、その救いの力強さは、死の苦しみを味われたイエスを見て、私たちは知ることができます!

「人とは何者なのか。(・・・このようにしてまでも、)あなたが心に留めるとは。あなたが顧みるとは。」 羊飼いが羊の為に命を捨てるなど、羊飼いの命と羊の命とは比べ様もありません。 神の御子が人の為に命を捨てるなど、神の御子と私たちとは比べることもできません。 いったい「人とは何者なのでしょう」。神である主が私たちに注がれる愛の大きさに驚嘆しかありません。 

 「神は人をお造りになって、万物をその足元に従わせられました。」と詩篇8篇にあり、(神は御子イエスを私たちのこの地にお遣わしになって)「万物を治めさせ、あらゆるものをその足元に置かれました」とヘブライ2章にあります。 この言葉は「私たちはいまだに、万物がこの方に従っているのを見ていません。」未だ実現していません。しかし、終わりの日、やがてその日は来ます。 

ただ、私たちの罪の為に、救いの為に、人となられ、十字架で苦しみを味わわれ、死なれたイエスを見ています。万物には実現していませんが、驚くべきことに、イエスを信じる私に、あなたに実現しています。 私たちには多くの試練があります。しかし、はっきりと言えますのは、私たちのイエスご自身が、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている私たちを助けることがおできになるのです。   

日本ホーリネス教団 勝田台キリスト教会

2024年11月末までの勝田台キリスト教会のHPはこちらのアドレスでご覧になれます。 https://katsutadai-ch.amebaownd.com/ 千葉県八千代市勝田台7‐27‐11に所在するプロテスタントのキリスト教会です。

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