4月27日(日)礼拝説教全文
「イエスの宣教命令と約束」マタイ28:11~20
先週はイースター礼拝でした。イエスの復活がなければ、世界中にイエスの十字架による罪の赦しの福音は宣べ伝えられませんでした。イエスの復活の証人であることが、彼らの宣教の力でした。 「主はよみがえられました!」この体験です。
福音の中心はイエスの十字架と復活だとお話ししましたが、十字架の死には埋葬(葬られ)が伴い、死からの復活には顕現が伴います。 パウロはコリントの信徒への手紙第一15章1~9節で、福音の内容で、「最も大切なこと」について語っています。
「キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪の為に死んだこと」、そして「葬られたこと」 「また、聖書に書いてあるとおりに三日目に復活したこと」、そして「多くの人々に現れ、私にまで現れて下さったこと」と記しています。
信じない人々
イエスが墓からいなくなることを阻止する為に、ローマの兵卒が見張り役に立てられ、墓には封印がされたと先週お話ししました。イエスの言葉を断固として信じない人の姿があります。 また本日の箇所にも、番兵から墓の様子の報告を聞いた祭司長たちは、この出来事を隠ぺいする為に、兵士たちに金を渡して、「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と言わせるように画策します。寝ている間に盗まれたとしたら、責任は番兵にあり、それは、彼らの首が飛ぶ出来事です。それでも信じない、受け入れない、頑なな人間の姿があります。 又、復活のイエスに出会って、全ての者が信じたかというと、弟子たちはガリラヤの山に登りイエスと出会い、イエスの前にひれ伏します。「しかし、疑う者もいた」とあります。聖書は常に人間の赤裸々な、ありのままの姿を語っています。目で見ても皆が信じたのではないのです。(:16~17) 本当に、人は信じることができない。どうしてここまで人は頑なで、信じることができないのでしょうか。 私たちはあらゆる私たちの人生の場面で、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」「見ないで信じる者は幸いだ」と言われるイエスの言葉を心に留めましょう。
イエスの命令と約束
本日のイエスの言葉は、弟子たちに対する最後の命令と約束です。 大宣教命令と一番大事な約束があります。 これは、イエスの弟子達、イエスに従う者、イエスに属する者、クリスチャンに対して、そして、キリストの教会に対しての主であるイエスの命令です。
宣教命令に伴う、イエスの権能 イエスの言葉(その権威)・その権能の範囲の及ぶところは、「天と地の一切(全て)」です。あなたは「アーメン、主よその通りです」と、イエスの言葉を、イエスを信じますか。 「私は天と地の一切の権能を授かっている」天においても、地においても、いっさいの権威を持っておられるお方。生も死も、私たちの今も、将来もそうです。 私たちの主は力ある神、生きておられる神です。
私たちはイエスの生涯とその招きのことばを聞いて、信じるか、信じないか、いずれかの決断を迫られます。イエスの言葉を聞いた者、聖書の福音を聞いた者は、自由意志をもって答える責任が生じます。聞くことがなければ、語る者の責任になります。
大宣教命令
1、弟子をつくりなさい(つくるのは神です) 世界宣教の命令
「あなたがたは行って(出て行って)全ての民を弟子としなさい」 宣教の対象は、「全ての民」です。この福音、喜びの知らせは、「全ての民に与えられる」ものです。 イエスの弟子たちがその命令に命がけで従って来た故に、現在、日本という遠い異国の民、私たちにもこの福音は届いています。「デユナミス」(「ダイナマイトと同属語)、力ある「イエスの十字架と復活」の福音です。 宣教・伝道とは何でしょうか。もちろん人々が罪から救われることですが、よくこのイエスの言葉に耳を傾けると、イエスの弟子を作ることを示しています。 「イエスの弟子」です。弟子は師の教えに学び、師の後ろに従います。
*人は権威に従って生きる動物です。どんなに自己中心に生きる者であってもそうです。私達は何の権威に従い、誰の声を聞いて生きるのでしょうか。 もう一度言います。弟子は師の教えに学び、師の後ろに従います。私は、あなたはキリストの弟子でしょうか。
2、洗礼(バプテスマ)を授けなさい
イエスを信じる者(信仰告白する者)に、「父と、子と、聖霊の御名によってバプテスマを授けなさい」。洗礼を授け、洗礼を受けることは、イエスの命令です。受けても受けなくてもよいものではありません。イエスに従う者であれば、洗礼を受けます。イエスも洗礼を受けられました。 そして、洗礼は教会員になるだけでなく、神との豊かな霊的交わり(コイノニア)の中に入ること、真の教会の交わりに加わる事を意味します。
3、命じたことをすべて守るように教えなさい
「あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい」 私たちはイエスのことばに学び、聖書のみことばに従って成長していきます。学びに終わりはありません。 どんな教育にも優って、神に学ぶ者は、神に造られた人に相応しい者として、また、キリストに似た者へと成長します。私たちの目標は、知識においても、判断・行動においても、言葉においても行状においても「イエスに似た者」になることです。
一番大切な御約束
「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」「世の終わりまで、いつも」、あなたはこのイエスの言葉を信じますか。イエスの最も大きな願いは、何にも優って、私たちと共にいることです。イエスが父に願われて今、私たちに遣わされている聖霊が、今も生きておられるイエスの臨在を私たちに現わして下さいます。
私たちイエスの弟子は、イエスとお会いして、日々を生きています。
マタイは「インマヌエル」という言葉を使ってイエスの生涯を語り始め、そしてインマヌエルの表現を用いてイエスの生涯を閉じています。 まさに、復活されたイエスこそ、現在「神我らと共にいます」を実現したもうお方です。
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